本来は、文字通り汗取りの内衣であったと考えられますが、十世紀中頃に少女着用の外衣となり、十世紀末には長大化して、正装として用いられたと思われます。
「満佐須計装束抄(まさすけしょうぞくしょう)」(1170年頃)に、後身丈が約4メートル50センチなど、寸法が記されています。
着装についても、右袖を外側に折り返して衣の袖口を見せ、盤領(あげくび)(丸首)の衿は開け放ち外側に折るなどと書かれていますが、
汗衫(かざみ)装束の特色は、少女の中性的な面をよく表わし、女子の服でありながら男子の服装の趣を多くもつことにあります。